2019年12月4日、アフガニスタン東部ナンガルハル州ジャララバードで日本人医師の中村哲さんが武装勢力に襲撃されて亡くなりました。
中村さんは右胸や腕に銃弾を受けていて、襲われた直後は意識があり、命に別状はないとされていましたが、運ばれた病院で亡くなったとの情報が入りました。
恥ずかしながら、今回のこのニュースを知るまで、『中村哲』という人の活動を全く知りませんでしたが、調べてみると本当に人のために尽くしてきた方だと知りました。
今回は、中村哲さんの死に対する海外の反応や過去の功績などプロフィールをまとめたいと思います。
Contents
医師・中村哲さんがアフガニスタンで銃撃を受け死亡
2019年12月4日に、アフガニスタン東部ナンガルハル州ジャララバードで、日本人医師の中村哲さん達が乗った車が武装勢力に襲撃されました。
その車には、ボディーガートや運転手などのアフガン人が5人同乗していましたが、全員亡くなったという事です。
中村さんは右胸と腕に銃弾を受け、運ばれた病院で亡くなりました。
2019年12月8日妻の直子さん、長女の秋子さんとともに日本へ帰国し、9日の午前に福岡空港に到着しました。
福岡空港では、中村哲さんが所属していたペシャワール会の関係者や多くのアフガン人たちが中村さんを迎えました。
ペシャワール会の会長の村上優会長は遺体の帰国に『安堵した』『本当に言葉が無い。悲しいの一言に尽きる』と中村さんの死に思いをはせています。
中村哲さんのプロフィール・経歴・偉業まとめ
では、中村哲さんのプロフィールについて簡単にご紹介していきます。
中村哲さんのプロフィール
出身地 福岡県福岡市
学歴 古賀市立古賀西小学校
西南学院中学校
福岡県立福岡高等学校
九州大学医学部
家族 妻、娘が3人
出身中学の西南学院中学校は、キリスト教系の私立中学で、偏差値59ととても優秀な生徒が集まる学校です。
中村さん以外にも陣内孝則、鈴木浩介、井上公造、松重豊などなど有名な人が沢山卒業しています。
中村さん自身はプロテスタント系バプテスト派のクリスチャンですが、アフガニスタンでの活動中は、現地の人々の信仰や価値観に最大限の経緯を表しながら活動をしていました。
中村哲さんがアフガニスタンに行くきっかけ
中村さんは、アフガニスタンの支援を行う団体『ペシャワール会』の代表として、長年にわたって現地での医療支援や灌漑事業の指導に当たってきました。
中村さんが海外での活動をするきっかけとなったのは、32歳の時に山岳隊の動向医師としてパキスタンを訪れたことです。
当時、医師がいなかったその地域では『珍しい医者が来た』と診察を受けたがる人が多く中村さんの元を訪れます。
手元にある薬を渡せばすぐに治せる病気も、山岳隊用の薬だったので勝手に渡すわけにもいかず『仁丹』を渡してその場をごまかしたそうです。
その出来事が頭から離れず、10年間の国内勤務を経てパキスタンに拠点を移しました。
中村哲さんの偉業3つ
中村哲さんの功績・偉業に関しては数えきれないほどあるのですが、大きく分けて3つの功績があります。
①飲料水・灌漑用井戸事業
②砂漠の緑地化・農村復興のための水路事業
③現地人へ用水路を作れるように授業を行う
詳しくそれぞれ書いていきますね!
中村さんは、国内の病院勤務をしたのちにパキスタン北西辺境州の州都ペシャワールに赴任し、20年以上にわたってハンセン病に関する医療活動に従事しました。
パキスタンでの活動が長かったのですが、パキスタン国内での活動が政府の圧力により困難になったとして、アフガニスタンに活動の拠点を移しました。
アフガニスタンでは、初め5か所で診療所を運営していたのですが、感染症などの諸問題については『水』が根本的な原因だと気が付き、数百か所に井戸を作りました。
しかし、井戸だけで綺麗な水を安定的に得ることが難しい状況です。農村復興、砂漠の緑地化のためには水路がどうしても必要という事に気づき、中村さんは水路事業を始めます。
そもそもアフガニスタンには巨大な山脈に囲まれた地域で、山に積もる万年雪が水源となります。 しかし、その万年雪が洪水と干ばつをもたらしており、ここ30年ほどは大干ばつをもたらしていました。
水がないために、汚い水でも飲まないわけにはいかず、子供のほとんどは腸管疾患に罹っていて、幼児死亡率が非常に高かったのです。
中村さんの水路事業では、故郷福岡の筑後川で江戸時代に開発された『斜め堰』、『かすみ堤』、『石出し水制』などの治水技術を使い、洪水が起きても安定して水が得られるように工夫されました。
また、村人にお給料を渡し、自分たちの手で水路を掘り進めていきました。
これにより緑地化がすすみ、60万人もの農民の生活基盤を構築することが出来ました。
中村さんの偉業は上記3つだけでなく、3つの事業により付随した雇用問題、難民問題も解決に向かわせました。
①飲料水・灌漑用井戸事業
➞綺麗な飲み水の確保
②砂漠の緑地化・農村復興のための水路事業
➞200万人もの雇用の確保。
60万人の農民の生活基盤確保。
農家として推定15万人以上もの難民が帰還。
③現地人へ用水路を作れるように授業を行う
➞学ぶ場の提供、村人の自立
中村さんの本当にすごいところは、この部分にあるなぁと個人的には感じました。
日本人が作って『与える』のではなく、給料を与えて現地の人の生活を保障してあげながらも、『自分たちの手で、自分たちの住む場所を作るんだ』という意識を教育することが出来たということが素晴らしいし、本当の優しさを持った人なんだなと思いました。
『与える』ということは、お金があればいくらでもやってあげられます。
それをせずに、現地の人と本当の意味での信頼関係を築き、現地の人達を自立に向かわせた中村さんの功績は本当に偉大であるなと感じました。
中村哲さんの死去に関する海外の反応一覧
上で見てきたように、パキスタン・アフガニスタン地域に多大な恩恵をもたらしてきた中村哲さん。
この中村哲さんの死去について海外での反応はどのようなものがあるのか、まとめてみました。
Nangarhar residents hold a candlelight vigil for Dr. Nakamura, who spent more than three decades improving Afghan lives — murdered at 73 years old as he was driving to work in Jalalabad city along with his five Afghan colleagues. pic.twitter.com/CUKt2ulOFV
— Zabihullah Ghazi (@ZabihGhazi) 2019年12月4日
私達何がるはーるの住民は、アフガニスタンの生活の改善に30年以上もの月日を費やした中村医師を追悼します。
73歳のその日、彼は仕事のため5人のアフガン人の同僚とともに
ジャララバードに向かっていました。
中村哲医師はアフガニスタンの偉大な友人であり、その生涯をアフガニスタンの国民の生活を変えるためにささげてくださいました。
アフガニスタン国民と政府は中村医師の功績に敬意を表し、ご家族、同僚の皆様、ご友人、そして日本国民の皆様に謹んで追悼申し上げます。 https://t.co/NEEQqgqhb0
— 駐日アフガニスタン大使館 Afghanistan Embassy in Tokyo (@AfghanistanInJP) 2019年12月4日
Words can’t describe how saddened I’m at the loss of Dr Tetsu Nakamura, he was a great friend of Afghanistan and a true Afghan. 😢
アフガニスタンで行ったことすべてに感謝します#DrNakamura pic.twitter.com/NrVGMzxgXn— Asep Norzai (@asepnorzai) 2019年12月4日
RIP Dr. Tetsu Nakamura
許してください
Please Forgive Us#PleaseForgiveUsNakamura#Nakamura#ناکامورا pic.twitter.com/p869hkq5vD— M Sadat (@MSadat0) 2019年12月4日
・日本人のみなさん本当にごめんなさい。
・世界をより良くしようと頑張っている日本人は大好き。
世界には悪い人間が多すぎて、その人たちの犠牲になる人も多すぎる・・。
・アフガニスタンのために人生を捧げてくれたのに、我々がそれを奪ってしまった。
本当にごめんなさい。
・どんな言葉にも代えられない。
本当に大切な人が亡くなってしまった。
こんなに恐ろしい事あるだろうか?
・どうか彼の魂を安らかに眠らせてください。
神様、どうかこの恐ろしい犯罪をした連中に呪いをくだしてください。
・本当に許せない。
アフガニスタンの人々を助けようと命を懸けた人を奪った戦争が憎い。
世界は残酷だ。
・悲し過ぎる。アフガニスタン人は決して彼の偉業を忘れない。
・このニュースを聞いて本当に辛い気持ちだ。
亡くなった中村先生は初めて一緒に仕事をした医師だった。
彼のような素晴らしい人を失いとても悲しい。
家族や高貴な日本の人たちにお悔やみを申し上げる。
まとめ
今回は、アフガニスタンで惜しくも亡くなってしまった、日本の医師・中村哲さんの偉業や海外の反応に関して記事にしました。
中村さんが成し遂げてきたことが、本当に凄すぎて、『すごい』と一言で言ってしまう事が申し訳なくなるくらいです。
中村さんが生きているうちに、もっと彼の活動に目を向けて、リアルタイムで色々と知りたかったなとも思うのですが、、
きっと私は中村さんのこの事件が発生しなければ、もしかしたら彼の偉業を知らないまま終わっていた可能性があります・・・
これからは、もう少し海外で活動されているこうした日本人の事を知っていきたいと思わされる出来事となりました。