石崎ひゅーい母の死因は?菅田将暉?

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今回はシンガーソングライターの石崎ひゅーいさんを紹介します!

プロフィール

名前        石崎 ひゅーい
誕生日      1984年3月7日
血液型      A型
出身地      茨城県水戸市
ジャンル    J-POP ロック
職業        シンガーソングライター、俳優、作詞家、作曲家
担当楽器    歌、アコースティックギター、エレキギター

中学校3年生のとき、友人に誘われたのをきっかけに、バンドのボーカルを担当。その後、2004年10月にロックバンド「astrcoast」を結成しました。astrcoastで活動中、横浜市のライブハウスで須藤晃と出会い、須藤の後押しもあり、2010年11月にバンドを解散してソロに転身。

2012年7月25日、エピックレコードジャパンからミニアルバム『第三惑星交響曲』をリリースし、メジャー・デビューを果たします。「第三惑星交響曲」は、スペースシャワーTV7月度パワープッシュとM-ON8月度レコメンドと異例のCS2冠を獲得しました。

石崎さんの母親の死因は?

幼少期はお母さんに『具合が悪い』『お腹が空いた』ということも言えないくらい引っ込み思案だった石崎さん。そんな石崎さんにお母さんは常々“表現しなさい”ということを言い続けていたそう。

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若い頃、東京の劇場で裏方の仕事をしていたお母さん。 感情表現がうまくできないひゅーいさんを小劇場やLIVEハウスが集まる下北沢に連れ出しました。

他にも、「『星を見に行くわよ』っていわれて、 眠いのに起こされて、天体望遠鏡を白いミニクーパーの後ろに乗せて公園で寝そべって星を見て、『風のように吹きなさい』っていうのと『星のように光ってみなさい』っていうのを言われたことをすごく覚えているんです。普通に生活していてもお母さんの教えみたいなのが、いちいち面白かった気がするんですよね」

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そんなお母さんの教育の仲育った石崎さんが見つけた表現方法が『歌う』という事でした。プロを意識しだし、下積み生活を送っていた石崎さん。2008年、石崎さんが24歳の時にお母さんが他界されました。

「僕のアイデンティティーみたいなのをつくっているの90%くらい母親だと思っていてその母親が死んで、どうすればいいんだろうってなったんです」

お母さんの言葉で『歌う』ことに導かれた石崎さん。その悲しみは想像を絶することだったと思います。

その時の行き場のない思いが込められた歌が『第三惑星交響曲』で、冒頭にも書きましたが、この曲でメジャーデビューすることとなります。

「死んだ母親が喜ぶようなものをつくりたい、つくらなきゃいけないって思って」

大好きなお母さんに向けられた鎮魂歌。その歌詞を紹介します。

『田舎道で見てた星空とか 庭に咲いた紫陽花とか
全部忘れないでいたいよ
それでもほら僕ら人間だから 約束さえ守れないから
大切なあの人のことだって いつか 』

『だから悲しくなんかないよ だから寂しくなんかないよ

バイバイなんかじゃないよ 鍵はあけておくからいつだっていつだって』

無くなったお母さんに向けての歌詞だと知ってから読むだけでもグッときますが、歌っている石崎さんの姿とメロディーを合わせて聴くと涙が止まりません。

気になるお母さんの死因ですが、こちらは公表されていませんでした。

菅田将暉さんとの関係は?

以前より石崎さんのファンだったという菅田将暉さん。雑誌『音楽と人』で対談も果たしています。

自身が出演するドラマの初主題歌『トドメの接吻』は石崎さんが作詞作曲したそうです。

菅田さんも石崎さんも俳優としてもアーティストとしても活躍されているので、話も合うのでしょうね!

石崎さんの熱愛やおすすめ人気曲についてはこちらの記事をどうぞ★

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